福田さんの文章批判 その8 「反統一協会側の仕組んだ策略」という記述の誤りと雑さ

306頁上段 13~17行目
 福田さんは青春を返せ訴訟を「異例の訴訟」という。たしかに昭和62年、甲事件が札幌地裁に提起された時には日本で初めての訴訟であったが、その後日本各地で同様の訴訟が起こされている。したがって、現在では「異例の訴訟」ではなく、「普通の訴訟」である。
 
 統一協会の伝道・教化活動の違法性を問う訴訟を「青春を返せ訴訟」と名付けたのは私であり、昭和62年に日本で初めて、それを提起したのも私である。私は「統一協会の社会的評判を失墜させ、解散に追いこもう」として、この訴訟を提起し遂行したのではない。原告ら元信者の被害回復、それを通して被害の根絶・予防が目標であり、統一協会の「解散」は、甲事件はもちろん、乙・丙事件を闘っている時にも、残念ながら、全く、目標とはならなかった。

 既に述べているように、原告らは「強制棄教」させられたのではない。原告には「保護」を受けた元信者もおり、「保護」を受けなかった元信者もいる。「保護」を受けた元信者は、統一協会との連絡がない環境の中で自分の頭で考えることができるようになり、そのことによって統一原理の誤りを認識し、統一協会を脱会することができた人達である。両親等による「保護」については、全員がそれを認容し、感謝しているという状況で裁判の原告になっている。すなわち、仮に「保護」に関連して何らかの問題があったとしても、札幌高裁判決が判示するとおり、関係当事者間ですでに解決済みなのである。
 代理人の私は、原告らを「利用」したのでは全くない。正体を隠した伝道活動によって信仰を植え付けられ、その結果、統一協会に奪われた青春を、財産を、返してほしいと望むのは被害者である元信者の当然の気持であるし、それを望む人がいる時、被害の回復を求めて闘うことは、弁護士である私にとっては、それがいかに困難であれ、なすべきことであった、ということである。原告らを「利用」して何らかの目的を達成しようなどという意図は全くない。
 そして、原告になった元信者達は、自分達と同じく、加害者としての苦しみまでを味あわされる人が、もうこの日本で生まれないようにしたいという「高い志」を持っていた。そのために、統一協会の責任を追及する訴訟に立ち上がったのである。私は、その気持にも打たれて長期にわたる裁判を担ってきたのである。

 「(青春を返せ訴訟は)統一教会を解散に追い込もうとする反統一教会側の策略」だなどというのは、全くの妄想である。長らく統一協会と裁判で論争しているが、統一協会からもこんなことは言われた記憶がない。札幌の3つの集団訴訟は、私一人の判断で、どこからの支援も受けずに闘ってきた。したがって、札幌の訴訟は「反統一教会側」の策略などではあり得ない。

 そして私は「策略」で訴訟をおこしたのではない。被害を受けた元信者が依頼したいと言っており、私にとっては、その被害回復を通じて、同種の被害の発生を防止したいと考えたからこそ、起こした訴訟なのである。
 甲事件は地裁判決までに、68回の期日を開き、合計57名の証人等を調べている。判決までに14年を要している。統一協会は、すべての裁判期日に東京から弁護士1名と本部職員2~3名を派遣してきた。札幌在住の弁護士1名と札幌地方組織の職員1名も必ず参加した。このような、元信者と統一協会が真正面からがっぷり四つに組んだ訴訟を「策略」などといえるのは、裁判というものを何も知らない人だからなのだと思う。
 平成元年に岡山、平成2年に名古屋、平成4年に神戸で、同じ裁判が起こされた。広がっていったのは、各地の元信者達の中に、札幌の青春を返せ訴訟のことを知って、自分も同じような裁判を起こしたいと望んだ人が生まれてきたからだと、私は聞いている。各地の裁判もそれぞれの代理人と原告の責任で闘われてきたのであるから、青春を返せ訴訟全体を「反統一協会側の仕組んだ策略」というのは、全く誤った、本当に雑な記述と言わざるを得ない。