福田さんの文章批判 その12(終) 協会の主張を繰り返す福田さん

青春を返せ訴訟の札幌地裁判決では、統一協会の主張が次のとおりまとめられている。
 
 なお,原告らは,いずれも,・・・・・牧師らに指導された両親等に拉致・監禁され,外部との連絡を遮断されたマンションや一軒家等の部屋に自由を奪われ拘束され,棄教しない限り拘束を解かれないという精神的重圧下で,暴力的強制的改宗業者,反対教師や両親・家族らの執拗な説得を受け,被告協会の信仰を捨て去った者たちである。原告らは,本件訴訟を脱会の踏み絵として迫られ,裁判提起後も,繰り返して教え込みが行われ,日常的に原告らを拉致・監禁した反対教師らが原告らの心理状況をチェックし,原告らを指導している(青春を返せ判決 163頁2~11行目)。
 現在天宙平和連合の事務総長と報じられている魚谷俊輔は、平成12年12月5日に青春を返せ訴訟で統一協会申請の証人として、裁判官の質問に対し次のとおり述べている。
 
 これはあくまでも私の理解でございますが、統一協会を相手取って起こされている「青春を返せ」訴訟等々の訴訟というものは、本当に被害者が被害を感じてやったものではないと理解しております。それが何であるかというと、先ほど言われましたようなら致監禁による強制改宗によって統一協会に対する敵意を植え込まれた原告たちが、反対運動の一環として、イデオロギー的動機に基づいて起こしている訴訟であるというふうに考えております(魚谷俊輔証人調書91頁13~92頁6行目)。
 
 一読すれば明らかなとおり、「『青春を返せ裁判』は、でっちあげ訴訟の集大成」という福田さんの主張は、裁判での統一協会の主張、その幹部信者の証言と骨格は全く同じである。福田さんは、統一協会の主張の骨格を、そのまま借用しているのだと判断される。
 上記3者の主張の最大の特徴は、青春を返せ訴訟の原告らは、被害者ではないということである。福田さんは「被害者のでっちあげ」(302頁 標題)、「似非(えせ)被害者」(304頁 中段 後ろから3行目)と表現している。
 
 統一協会が原告らについて「被害者ではない」と主張するのは、統一原理は真理であり、真理に基づいて行動している統一協会に誤りはなく、その行動によって被害者が発生することはあり得ないという、教義が絶対的真理であるという立場からも導き出されうるものである。訴訟の被告とされているところからもそのような主張をすること自体は「他に言いようはないのだろうな」という意味で理解しうる。統一協会員である魚谷さんが、統一協会と同一の見解を「あくまで私の理解でございますが」と言いながら法廷で述べることも理解できないではない。教義を真理と信じているうえに、教義上、上令下服が絶対であるからである。
 統一協会にとっては、内部のことを実体験した元信者(被害者)の告発は、もっともイヤなものであり、その評価に最も大きな打撃を与えるものだから、被害者には声をあげさせたくないのである。だから声をあげた被害者は「被害者ではない」ことにするのであろう。
 
 しかし、信者でない福田さんが、どのような理由で、統一協会の主張の骨格を、20年も経ってから自らの主張の骨格としてしまったのかは、福田さんの内心の問題なので私にはわからない。福田さんが、青春を返せ訴訟に関する事実を、自らの足と頭を使って虚心に調べれば、加害の苦しみさえ与えられている被害者の存在を知ることは簡単だったはずである。福田さんは、虚心に事実を調べるという道を、意図的に選択しなかったのではないかと私には思われる。
 
 私にとって統一協会問題は、被害者の存在がすべての出発点である。被害の訴えを聞き、統一協会による、財産を収奪し、無償の労働力として使役したうえ、加害の苦しみさえも与えるような不当行為を断じて許すことはできないと思ったのである。
 
 以下のとおりである。
 「25、6歳だったかな、霊感商法の中核を担わされ、霊能師として因縁トークをして壺を買わせていた女性でした…。涙です。滂沱(ぼうだ)の涙ですよ。顔を伏せるのでも、拭おうとするでもなく、涙が流れるまま話し続けました。犯罪行為を正しいこととしてやっていた自責の念に痛烈に苦しんでいたのです」(https://www.bengo4.com/c_8/n_14875/
  
 その思いは、全国弁連に参加している弁護士にとって同じだと思う。だから、左派であるとか右派であるとかは関係なく、様々な立場の人が、その立場を超えて、被害者救済の点で一致しうることについて、霊感弁連として行動しているのである。
(終わり)

福田さんの文章批判 その11 「カルトだと負けという裁判所の枠組」?

306頁中段 後ろから3行目~下段6行目
 「カルトだと負けという裁判所の枠組」が存在するという伊藤芳郎弁護士の「証言」は、札幌青春を返せ訴訟に関しては、根拠のない憶測である。青春を返せ訴訟の判決を具体的に分析して、ここに「カルトだと負けという裁判所の枠組」が働いていると指摘するのでなければならない。伊藤芳郎弁護士は札幌青春を返せ訴訟の経過、内容をほとんど知らないのではないか?

 札幌青春を返せ訴訟の裁判長らが「カルトだと負けという枠組」を持っていなかったこと、むしろ、この訴訟に厳しい姿勢であったことは次の事実から明らかである。
 平成11年4月に着任した3人の裁判官(この裁判官達が判決を書いた)は、5月14日に進行協議期日を開いた。その場で裁判長は次のように発言した。「記録をまだ全部読んだわけではないが、こんなに時間のかかる訴訟ではない。終結を展望して進めていきたい。そして判決によらざる解決も検討していただきたい」と。要するに、「和解を勧める」という意味である。

 私は緊張した。青春を返せ訴訟は人の心を問題にしているのだから、お金を支払わせて「和解」することは考えられないと、私は思い続けていたからである。裁判長のこの発言で、原告を勝たせるという心証を持っていないのだと私は考えて、それまで留保していた原告18名の尋問を申請した。9月3日からそれら原告らの尋問が始まり、翌年12月5日まで、統一協会申請の証人も含め、30名の尋問がおこなわれた。
 その最初の尋問の時、裁判長は、「・・・摂理のための献金は、どのようなことで献金したのか?」という質問をして、原告から、「摂理のためというのであれば喜んでお金を献金しました」という答を引き出し、さらに、「・・・文鮮明さんの古希の時はどんな気持だったのか?」という質問をして、「古希祝いはみんな献金していましたから、はい、自分もしようと思いました」という答を引き出した。そして、「どうだ!」といわんばかりの顔をして(私にはそう見えた)、私を法壇上から見下ろしたのである。
 
 私は、それで、裁判長は、個々の献金勧誘行為に際して、畏怖困惑させる等の行為がなければ、違法ではないという判断枠組みを持っているのだと考えざるを得なかった。その判断枠組みで判断されると、札幌の青春を返せ訴訟は負ける。そういう主張をしていないからである。その理由は、信者になった後は、統一原理を真理と信じさせられているのだから、畏怖困惑させられなくても献金をするからである。私の主張は、統一原理を真理と信じさせる方法が違法であるというものなのだが、それがまったく裁判長には伝わっていないと思ったのである。その後、変化を感じさせることも少しあったのだが、裁判長は判決の前にも和解を勧めてきた。それで私は、やっぱり裁判長の心証は変わっていないのだと考えた。ところが、驚いたことに、判決は原告らの全面勝訴であった。

 以上の経過から明らかなように、青春を返せ訴訟の判決は、法廷における原告本人の事実に基づいた訴えが、裁判長らの判断枠組みさえも変更させて勝訴を勝ち取ったのだと言えるのであって、「カルトだと負けという裁判所の枠組み」などは微塵も存在していないのである。そんな枠組みが適用されていれば、地裁判決までに14年もかかるわけがない。伊藤芳郎弁護士の「証言」は誤っているし、それを無批判に援用している福田さんも誤っている。
 
 青春を返せ訴訟(甲事件)の判決は十分な証拠に裏付けられ、裁判長らの合理的判断が貫かれているものであり、A4版532頁、43万字を越える裁判長達の努力の結晶である。その真価は今こそ輝いていると私は思う。

 

306頁下段7~14行目
 福田さんは、「ちなみに家庭連合がカルトだと認定されたわけではない」と言う。そもそも、カルトだ認定する機関が日本には存在しないのだから、「統一協会がカルトだと認定されていない」のは当たり前のことである。ただ、日本における統一協会による人権侵害の甚大性から、適切な要件が定められれば、統一協会がカルトに該当することは疑いがないと私は思っている。
 但し、私は青春を返せ訴訟で、統一協会はカルトだから・・・という主張を一切していない。統一協会の行っている具体的な事実を指摘して、それが違法である、国民の人権を侵害していると主張して、裁判所の判断を求めている。したがって、福田さんの「カルトなら負けという判断枠組み」、「統一協会はカルトと認定されていない」という記述は、青春を返せ訴訟には、なんの関係もないものである。

 

福田さんの文章批判 その10 原告らが「異常な精神状態にあ」ったというのは、ひどい誤り

306頁中段 5行目~11行目
 福田さんは、「拉致監禁された人間の法廷証言は信用できないはず。憲法にも定められている」と記述する。
 しかし、保護された札幌青春を返せ訴訟の原告達が法廷で供述をしたのは、保護が終了し、普通の生活を送るようになって何年も経ってからである。1番最初に供述をした保護された原告の場合、両親による保護の環境を3週間ほどで出て、会社勤めなどをして社会生活をしながら、4年3ヵ月後に原告として供述をした。
 一番最後に供述をした原告の場合は、保護の時から法廷での供述の時までに8年4ヶ月の時間がたっていた。その間、その原告は主婦であった。
 以上のとおり、憲法38条2項適用の前提となる「抑留若しくは拘禁」等の事実は、すべての保護された原告について、供述をした時には、まったくない。自由な社会生活が上記のとおり4年あるいは8年も継続した後での供述であるから、過去における保護の事実と原告らの法廷における供述との間には、なんの因果関係もない。したがって、保護された元信者原告の供述は信用できないはずという福田さんの記述に、なんの根拠もない。

 

 又、原告らの法廷における供述には憲法38条2項の自白に該当するものはないと考えられる。青春を返せ訴訟は統一協会が元信者原告らの信仰の自由を侵害した責任を問うた訴訟である。したがって、統一協会の伝道・教化課程についての供述が、原告らの供述のほとんどである。それらは自白ではない。自白とは「被告人(被疑者)が犯罪事実の全部または一部について自己の刑事責任を認める供述をいう」とされているからである。そもそも、原告らは「被告人(被疑者)」でもない。
 憲法38条2項を根拠とした主張は、統一協会からはされなかったのではないかと思う。青春を返せ訴訟の1審判決には憲法38条2項という言葉自体が全く用いられていないからである。

 

 306頁中段 12行目~17行目
 福田さんは、「拘禁された等で異常な精神状態にある人間の公的発言は一切無効なはず」だという。
 福田さんの発言が法的に正しいのかどうかは、この際検討しないことにする。検討しなくてもすむからである。
 裁判で原告らの供述能力は全く問題にならなかった。統一協会自体が、原告らは「異常な精神状態にあるから、公的に発言したり署名することは一切無効である」という主張を裁判ではしていないはずである。判決には「異常な精神状態」という言葉が用いられていないからである。
 そして、上に述べたとおり、法廷における供述時、原告らは、福田さんの記述とは異なり、「拘禁」されておらず、「脅迫」されておらず、「異常な精神状態」では全くなく、普通の社会人としての生活を送っていた。だから、それらの事実の存在を前提とする、「(原告らの供述は)一切無効なはず」という福田さんの記述は、根拠を全く欠いたものである。 だから、「一切無効であるはず」と思い込んで「(問題にならなかったことに)驚いた」福田さんの方がおかしいのである。

 上記のとおり、4年から8年も普通の社会生活を営み、人間関係を形成し直していた原告らに対して、福田さんはどのような事実に基づいて「拘禁され脅迫され」、「異常な精神状態にある人間」と記述することができるのだろうか?統一協会の被害から立ち直ろうとし、生き直しをしようと努力している原告ら被害者の苦しみやその心に、福田さんは寄り添ってみようと、一切していないようである。

 

 上記の主婦の原告の場合、保護の場から嘘をついて統一協会の上司宅に逃げたのだが、責任者である「教会長」は、家に帰るよう指示している。「拉致監禁」と主張する場から逃げてきた人を、その場に戻るように指示しているのである。統一協会の教義から言えばその人の永遠の命を見捨てたに等しい行為なのではないか?
 当時、青年の場合にはこのような対応はなかった。青年に対しては「対策」と称し偽名を使わせ、組織内に隠してしまうのである。私は、この対応の差は、統一協会組織の将来を支える可能性があるか、或いはその信者からの「無償の労役の享受」(札幌青春を返せ判決より)が長期間可能かどうかという点から生まれていると判断している。

 

福田さんの文章批判 その9 統一協会の責任を免罪する記述

 306頁上段 後ろから3行目 中段4行目

 福田さんは、「(青春を返せ訴訟等を)メディアが報じ、プロの脱会屋が唆して、親族は肉親の拉致監禁に手を染める」と記述する。

 この点について、裁判所がどのように認定しているかみてみよう。夫婦である統一協会員が拉致監禁されたとして、それぞれの両親と関係者を広島地方裁判所に提訴した事件がある(以下、「広島事件」という。事件の結論は夫婦の損害賠償が認められている)。その事件の控訴審判決(2020年11月27日広島高裁判決言渡し、双方上告せず確定)は、夫婦である統一協会員を「保護」した両親の心情について、次の通り認定している。

 たしかに,被控訴人(統一協会員夫婦のこと)らが,平成18年及び平成19年に統一協会献金するため,控訴人両親らに対して虚偽の理由を告げて金員を交付させたことは詐欺行為に該当する疑いが強く,被控訴人らが統一協会のためなら犯罪に手を染めるのも厭わなくなっていると考えて,控訴人両親らが非常な心痛を覚えたことは察するに難くない。被控訴人らとの統一協会脱退に向けた話合いが奏功しなかったことや被控訴人妻が幼い長女や長男を控訴人両親に預けて韓国に行くなど被控訴人ら自身や子らの生活より統一協会の活動を優先するように見受けられたため,控訴人両親らが本件で監禁行為等に出たことについては,被控訴人らの行く末,生き方を危ぶみ,専ら親としての情愛から,孫らを含め被控訴人らの幸せを願って統一協会から脱退させるためであったと認められる(18頁)。

 

 この認定に照らすと、福田さんの記述が実に見事に統一協会の責任を免罪する議論であることが明らかである。

 広島事件の両親らは、親に嘘をついて統一協会献金するためのお金を出させるという犯罪行為をおこなうようになったこと等から、子供達夫婦とその孫の行く末、生き方を危ぶみ、専ら親の情愛から、自分の頭で考えることのできる環境に「保護」して、両親も共にそこに居住したのである。そして、統一協会員の夫婦は、統一協会の伝道・教化活動によって自主的な判断を妨げられて、文鮮明が再臨のメシアであるとの信仰を植えつけられた人なのである。信仰の自由を侵害され、その状態から抜け出すことができないようにされている人なのである。両親が「保護」以外方法がないと考えるには、理由があると私は考える。広島事件で両親が敗訴となったのは、保護のための手段が必要最小限の範囲を超えていたからであると私は考えている。

 福田さんのいう「このままではあなたの子供は犯罪者になる」と言ったという具体的な事例を私は知らないが、その内容は事実である。祈願料を喝取したとして起訴された青森事件では、3名の統一協会員が有罪判決を受けた。そのうちの1人の方が、最近の報道1930でインタビューに答えていた。事件の7年後に統一協会を自然脱会しているが、その後の30年にわたる彼の人生は悔恨の人生であったことが語られていた。苦悩に満ちたものであったろう(当ブログ 7月6日付、「もう、ご自分を責めないで」参照)。その苦しみに統一協会は一切責任を負おうとしない。

 又、広島事件の原告ら夫婦がおこなった、親を騙して統一協会への献金を出させたという犯罪行為は、多くの統一協会員がアベルの指示によってやっていることであると推測される。
 統一協会の伝道・教化活動や献金の集金活動の中には、刑罰法規に該当するものもあるのであり、正しいことと信じさせられて実行しても、犯罪行為として摘発されることがあるのである。だから親族は「脱会屋に唆されて」心配するのではない。

 したがって、福田さんが記述することは、メディアが正しい報道をおこない、その報道等に触発されて、自力ではとうてい解決できなかった問題について、両親等が子のためを思って行う行為を関係者が援助するということなのであって、一般論として、まったく正当なことである。個別的に違法な行為があった場合には、広島事件のように関係当事者の間で解決されるべきことである。したがって、裁判等で違法とされた行為が幾つかあったからといって、4300件の事例がすべて違法であると論ずるのは正しくない。

 札幌の青春を返せ訴訟について言えば、元信者原告らが両親等の「保護」行為を違法行為であると指摘している事実はない。

 

福田さんの文章批判 その8 「反統一協会側の仕組んだ策略」という記述の誤りと雑さ

306頁上段 13~17行目
 福田さんは青春を返せ訴訟を「異例の訴訟」という。たしかに昭和62年、甲事件が札幌地裁に提起された時には日本で初めての訴訟であったが、その後日本各地で同様の訴訟が起こされている。したがって、現在では「異例の訴訟」ではなく、「普通の訴訟」である。
 
 統一協会の伝道・教化活動の違法性を問う訴訟を「青春を返せ訴訟」と名付けたのは私であり、昭和62年に日本で初めて、それを提起したのも私である。私は「統一協会の社会的評判を失墜させ、解散に追いこもう」として、この訴訟を提起し遂行したのではない。原告ら元信者の被害回復、それを通して被害の根絶・予防が目標であり、統一協会の「解散」は、甲事件はもちろん、乙・丙事件を闘っている時にも、残念ながら、全く、目標とはならなかった。

 既に述べているように、原告らは「強制棄教」させられたのではない。原告には「保護」を受けた元信者もおり、「保護」を受けなかった元信者もいる。「保護」を受けた元信者は、統一協会との連絡がない環境の中で自分の頭で考えることができるようになり、そのことによって統一原理の誤りを認識し、統一協会を脱会することができた人達である。両親等による「保護」については、全員がそれを認容し、感謝しているという状況で裁判の原告になっている。すなわち、仮に「保護」に関連して何らかの問題があったとしても、札幌高裁判決が判示するとおり、関係当事者間ですでに解決済みなのである。
 代理人の私は、原告らを「利用」したのでは全くない。正体を隠した伝道活動によって信仰を植え付けられ、その結果、統一協会に奪われた青春を、財産を、返してほしいと望むのは被害者である元信者の当然の気持であるし、それを望む人がいる時、被害の回復を求めて闘うことは、弁護士である私にとっては、それがいかに困難であれ、なすべきことであった、ということである。原告らを「利用」して何らかの目的を達成しようなどという意図は全くない。
 そして、原告になった元信者達は、自分達と同じく、加害者としての苦しみまでを味あわされる人が、もうこの日本で生まれないようにしたいという「高い志」を持っていた。そのために、統一協会の責任を追及する訴訟に立ち上がったのである。私は、その気持にも打たれて長期にわたる裁判を担ってきたのである。

 「(青春を返せ訴訟は)統一教会を解散に追い込もうとする反統一教会側の策略」だなどというのは、全くの妄想である。長らく統一協会と裁判で論争しているが、統一協会からもこんなことは言われた記憶がない。札幌の3つの集団訴訟は、私一人の判断で、どこからの支援も受けずに闘ってきた。したがって、札幌の訴訟は「反統一教会側」の策略などではあり得ない。

 そして私は「策略」で訴訟をおこしたのではない。被害を受けた元信者が依頼したいと言っており、私にとっては、その被害回復を通じて、同種の被害の発生を防止したいと考えたからこそ、起こした訴訟なのである。
 甲事件は地裁判決までに、68回の期日を開き、合計57名の証人等を調べている。判決までに14年を要している。統一協会は、すべての裁判期日に東京から弁護士1名と本部職員2~3名を派遣してきた。札幌在住の弁護士1名と札幌地方組織の職員1名も必ず参加した。このような、元信者と統一協会が真正面からがっぷり四つに組んだ訴訟を「策略」などといえるのは、裁判というものを何も知らない人だからなのだと思う。
 平成元年に岡山、平成2年に名古屋、平成4年に神戸で、同じ裁判が起こされた。広がっていったのは、各地の元信者達の中に、札幌の青春を返せ訴訟のことを知って、自分も同じような裁判を起こしたいと望んだ人が生まれてきたからだと、私は聞いている。各地の裁判もそれぞれの代理人と原告の責任で闘われてきたのであるから、青春を返せ訴訟全体を「反統一協会側の仕組んだ策略」というのは、全く誤った、本当に雑な記述と言わざるを得ない。

 

福田さんの文章批判 その7 「青春を返せ訴訟」では原告らがほとんど勝訴している

306頁上段 5~12行目
 「裁判の結果はまちまちだ」というのも事実でない。
 原告側が全面敗訴しているのは、下記の表の①名古屋地裁、②岡山地裁、⑤神戸地裁だけである。④広島高裁岡山支部で②事件について原告が逆転勝訴している。⑥甲事件の札幌地裁判決以降、原告らの勝訴が連続している。敗訴した⑤神戸地裁の事件も⑪大阪高裁で原告が逆転勝訴している。名古屋地裁の事件は高裁で和解したと記憶している。したがって、事件として敗訴が確定したものは、私が把握している限りでは、ない。
 裁判の結果について、以下の表を貼り付ける。有田事件(ジャーナリストの有田さんが名誉毀損統一協会から訴えられた事件)弁護団が作成したものである。

 

 

    裁判所

判決日

伝道・教化等の適法性判断

 

①           名古屋地裁

 

平成10年3月26日

 

適法

 

 

②           岡山地裁 

平成10年6月3日

適法

 

③           仙台地裁

平成11年3月23日

適法(一部違法)

 

④ 広島高裁岡山支部

平成12年9月14日

 

違法(②の控訴審

 

 

⑤           神戸地方裁判所

平成13年4月10日

適法

 

⑥           札幌地裁

 

平成13年6月29日

 

違法(甲事件)

 

⑦           東京地裁  

 

平成14年8月21日

 

違法

 

 

⑧           京都地裁

 

平成14年10月25日

 

違法

 

 

⑨           新潟地裁

 

平成14年10月28日

 

違法

 

 

⑩           札幌高裁

平成15年3月10日

違法(⑥の控訴審

 

⑪           大阪高等裁判所

平成15年5月21日

違法(⑤の控訴審

 

⑫           東京高等裁判所

平成15年5月28日

違法(⑦の控訴審

 

⑬           最高裁判所 

平成15年10月10日

違法(⑩の上告審)

 

⑭           東京高等裁判所

平成16年5月13日

違法(⑨の控訴審

 

⑮           札幌地裁 

 

平成24年3月29日

 

違法(乙事件)

 

 

⑯           札幌高裁 

 

平成25年10月31日

 

違法(⑮事件の控訴審

 

 

⑰           札幌地裁

 

平成26年3月24日判決

 

違法(丙事件)

 

 

⑱           札幌高裁 

 

平成27年10月16日

 

違法(⑰事件の控訴審

 

 

 

 札幌地裁の甲・乙・丙事件の意義は、統一協会の伝道・教化活動が国民の信教の自由を侵害するものだと原告らが主張し、それが裁判所に認定されたことである。伝道・教化活動は宗教団体の最も中核的な事業なのに、それが違法行為だとされたこと、宗教団体が国民の信教の自由を侵害していることそのこと自体と、統一協会が、信者とした者を隷従させ、自由意思を侵害して献金させたり、信者に物売りや違法な伝道活動をさせることによって、国民への加害者としてしまうのであるから、統一協会が反社会的団体だと批判されるのは当然である。そのような実態が判決でも認められたのである。
 したがって、私は実態もないのに、「原告が勝訴したことをもって」、「統一協会が反社会的団体であると認定された」と主張しているのではない。福田さんの記述は誤っている。

 

甲、乙、丙の各事件判決において統一協会の組織的違法行為が詳細に認定された。その理由は、いずれもが集団訴訟で、多数の原告(元信者)から膨大な違法伝道の資料が裁判所に証拠として提出され、真相に迫ることができた結果なのである。

ツレがうつになりまして。(終わり)

 映画の最後の頃に、主人公が、このやっかいな病気とつき合っていくことが本当の自分にめぐり逢う道だと思うと講演する場面がありました。うつになったことさえもポジティブに捉える心になることが、回復のために必要なのだと思いました。

 うつとは比較にならないくらい軽い「病気」(私にとっては、とっても苦しいものでしたけれども)だった私の心の病、それへの対処の方法として、本に教えられ、実践しようとしたことは次のようなことでした。
 
 ① ありのままの自分を受けいれる。
 ② 感情(例えば、恐怖)に抗わない、支配されない、やり過ごす。感情は、いずれ消退していくものだから、それを待つ。
 ③ 回復期には、恐怖心が湧いてきても、それに支配されず、今、しようとしていることを実践する(本では、恐怖突入と言っていました)。
 
 それらは、今でも、私が生活する上での指針になっていると思います。②は難しいことで、最近も大失敗をしていますけれども・・。(終わり)