福田さんの文章批判 その10 原告らが「異常な精神状態にあ」ったというのは、ひどい誤り

306頁中段 5行目~11行目
 福田さんは、「拉致監禁された人間の法廷証言は信用できないはず。憲法にも定められている」と記述する。
 しかし、保護された札幌青春を返せ訴訟の原告達が法廷で供述をしたのは、保護が終了し、普通の生活を送るようになって何年も経ってからである。1番最初に供述をした保護された原告の場合、両親による保護の環境を3週間ほどで出て、会社勤めなどをして社会生活をしながら、4年3ヵ月後に原告として供述をした。
 一番最後に供述をした原告の場合は、保護の時から法廷での供述の時までに8年4ヶ月の時間がたっていた。その間、その原告は主婦であった。
 以上のとおり、憲法38条2項適用の前提となる「抑留若しくは拘禁」等の事実は、すべての保護された原告について、供述をした時には、まったくない。自由な社会生活が上記のとおり4年あるいは8年も継続した後での供述であるから、過去における保護の事実と原告らの法廷における供述との間には、なんの因果関係もない。したがって、保護された元信者原告の供述は信用できないはずという福田さんの記述に、なんの根拠もない。

 

 又、原告らの法廷における供述には憲法38条2項の自白に該当するものはないと考えられる。青春を返せ訴訟は統一協会が元信者原告らの信仰の自由を侵害した責任を問うた訴訟である。したがって、統一協会の伝道・教化課程についての供述が、原告らの供述のほとんどである。それらは自白ではない。自白とは「被告人(被疑者)が犯罪事実の全部または一部について自己の刑事責任を認める供述をいう」とされているからである。そもそも、原告らは「被告人(被疑者)」でもない。
 憲法38条2項を根拠とした主張は、統一協会からはされなかったのではないかと思う。青春を返せ訴訟の1審判決には憲法38条2項という言葉自体が全く用いられていないからである。

 

 306頁中段 12行目~17行目
 福田さんは、「拘禁された等で異常な精神状態にある人間の公的発言は一切無効なはず」だという。
 福田さんの発言が法的に正しいのかどうかは、この際検討しないことにする。検討しなくてもすむからである。
 裁判で原告らの供述能力は全く問題にならなかった。統一協会自体が、原告らは「異常な精神状態にあるから、公的に発言したり署名することは一切無効である」という主張を裁判ではしていないはずである。判決には「異常な精神状態」という言葉が用いられていないからである。
 そして、上に述べたとおり、法廷における供述時、原告らは、福田さんの記述とは異なり、「拘禁」されておらず、「脅迫」されておらず、「異常な精神状態」では全くなく、普通の社会人としての生活を送っていた。だから、それらの事実の存在を前提とする、「(原告らの供述は)一切無効なはず」という福田さんの記述は、根拠を全く欠いたものである。 だから、「一切無効であるはず」と思い込んで「(問題にならなかったことに)驚いた」福田さんの方がおかしいのである。

 上記のとおり、4年から8年も普通の社会生活を営み、人間関係を形成し直していた原告らに対して、福田さんはどのような事実に基づいて「拘禁され脅迫され」、「異常な精神状態にある人間」と記述することができるのだろうか?統一協会の被害から立ち直ろうとし、生き直しをしようと努力している原告ら被害者の苦しみやその心に、福田さんは寄り添ってみようと、一切していないようである。

 

 上記の主婦の原告の場合、保護の場から嘘をついて統一協会の上司宅に逃げたのだが、責任者である「教会長」は、家に帰るよう指示している。「拉致監禁」と主張する場から逃げてきた人を、その場に戻るように指示しているのである。統一協会の教義から言えばその人の永遠の命を見捨てたに等しい行為なのではないか?
 当時、青年の場合にはこのような対応はなかった。青年に対しては「対策」と称し偽名を使わせ、組織内に隠してしまうのである。私は、この対応の差は、統一協会組織の将来を支える可能性があるか、或いはその信者からの「無償の労役の享受」(札幌青春を返せ判決より)が長期間可能かどうかという点から生まれていると判断している。