福田さんの文章批判 その9 統一協会の責任を免罪する記述

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 福田さんは、「(青春を返せ訴訟等を)メディアが報じ、プロの脱会屋が唆して、親族は肉親の拉致監禁に手を染める」と記述する。

 この点について、裁判所がどのように認定しているかみてみよう。夫婦である統一協会員が拉致監禁されたとして、それぞれの両親と関係者を広島地方裁判所に提訴した事件がある(以下、「広島事件」という。事件の結論は夫婦の損害賠償が認められている)。その事件の控訴審判決(2020年11月27日広島高裁判決言渡し、双方上告せず確定)は、夫婦である統一協会員を「保護」した両親の心情について、次の通り認定している。

 たしかに,被控訴人(統一協会員夫婦のこと)らが,平成18年及び平成19年に統一協会献金するため,控訴人両親らに対して虚偽の理由を告げて金員を交付させたことは詐欺行為に該当する疑いが強く,被控訴人らが統一協会のためなら犯罪に手を染めるのも厭わなくなっていると考えて,控訴人両親らが非常な心痛を覚えたことは察するに難くない。被控訴人らとの統一協会脱退に向けた話合いが奏功しなかったことや被控訴人妻が幼い長女や長男を控訴人両親に預けて韓国に行くなど被控訴人ら自身や子らの生活より統一協会の活動を優先するように見受けられたため,控訴人両親らが本件で監禁行為等に出たことについては,被控訴人らの行く末,生き方を危ぶみ,専ら親としての情愛から,孫らを含め被控訴人らの幸せを願って統一協会から脱退させるためであったと認められる(18頁)。

 

 この認定に照らすと、福田さんの記述が実に見事に統一協会の責任を免罪する議論であることが明らかである。

 広島事件の両親らは、親に嘘をついて統一協会献金するためのお金を出させるという犯罪行為をおこなうようになったこと等から、子供達夫婦とその孫の行く末、生き方を危ぶみ、専ら親の情愛から、自分の頭で考えることのできる環境に「保護」して、両親も共にそこに居住したのである。そして、統一協会員の夫婦は、統一協会の伝道・教化活動によって自主的な判断を妨げられて、文鮮明が再臨のメシアであるとの信仰を植えつけられた人なのである。信仰の自由を侵害され、その状態から抜け出すことができないようにされている人なのである。両親が「保護」以外方法がないと考えるには、理由があると私は考える。広島事件で両親が敗訴となったのは、保護のための手段が必要最小限の範囲を超えていたからであると私は考えている。

 福田さんのいう「このままではあなたの子供は犯罪者になる」と言ったという具体的な事例を私は知らないが、その内容は事実である。祈願料を喝取したとして起訴された青森事件では、3名の統一協会員が有罪判決を受けた。そのうちの1人の方が、最近の報道1930でインタビューに答えていた。事件の7年後に統一協会を自然脱会しているが、その後の30年にわたる彼の人生は悔恨の人生であったことが語られていた。苦悩に満ちたものであったろう(当ブログ 7月6日付、「もう、ご自分を責めないで」参照)。その苦しみに統一協会は一切責任を負おうとしない。

 又、広島事件の原告ら夫婦がおこなった、親を騙して統一協会への献金を出させたという犯罪行為は、多くの統一協会員がアベルの指示によってやっていることであると推測される。
 統一協会の伝道・教化活動や献金の集金活動の中には、刑罰法規に該当するものもあるのであり、正しいことと信じさせられて実行しても、犯罪行為として摘発されることがあるのである。だから親族は「脱会屋に唆されて」心配するのではない。

 したがって、福田さんが記述することは、メディアが正しい報道をおこない、その報道等に触発されて、自力ではとうてい解決できなかった問題について、両親等が子のためを思って行う行為を関係者が援助するということなのであって、一般論として、まったく正当なことである。個別的に違法な行為があった場合には、広島事件のように関係当事者の間で解決されるべきことである。したがって、裁判等で違法とされた行為が幾つかあったからといって、4300件の事例がすべて違法であると論ずるのは正しくない。

 札幌の青春を返せ訴訟について言えば、元信者原告らが両親等の「保護」行為を違法行為であると指摘している事実はない。